2018年9月30日日曜日

プロローグ(出発にあたって)

平成29年(2017)4月12日、私は日陰に残雪が残る分杭峠(長野県伊那市と下伊那郡大鹿村の境) に立っていた。ここから始まる「秋葉街道・天竜川ひとり歩きの旅」。日程は9日間。国道152号線の分杭峠を出発し、住民歌舞伎で有名な大鹿村を通り、霜月祭りの遠山郷から青崩峠を経て静岡県に入り、秋葉神社に詣でながら浜松市二俣町を経て天竜川が太平洋に注ぐ河口まで、全行程約180km。1日平均の20km近くを歩いて制覇しようという計画である。
このようなひとり歩きの旅を計画した一番のきっかけは、36年間お世話になった原村役場を定年退職 して、いきなり毎日が休日になったこと。退職となる3月末が近づいてくると、退職を記念して、今ま でできなかったことをしてみたい。そんな気持ちが高まってきた。では何をしようか、やっぱり健康の基本である「歩くこと」で自分の体力はどの程度なのか、チャー レンジしてみたいという願望が込み上げてきたのだ。
私の在職中の仕事の内容は、デスクワークがほとんどであっ た。万歩計を付けて計測しても、毎日せいぜい2000~3000歩くらいしか歩いていない。また、退職までの8年間 は産業振興関係の仕事をしていたので各種団体の皆さんとの懇親会も多く、仕事上のいわゆる飲み会は年間33回を数えた。身体にいいことはほとんどしていなかったのだ。
それではどこを歩こうかということになる。そこで、私は迷 うことなく古道である秋葉街道を選んだ。どうして秋葉街道 なのか? いろいろな方に聞かれる。古道であれば、もっと 有名な熊野古道や中山道などがあるではないか。しかし、私は秋葉街道に強いロマンと、漠然とではあ るが不思議なルーツを感じていたのだ。
第一に、戦国時代、武田信玄が領国を広げるために軍道として秋葉街道を活用していたこと。信玄は 徳川家康と戦う際に大軍を率いて、この街道を疾走していたという歴史がある。もしや、私の祖先もこ の進軍に加わったかもしれないと考えると、何だかワクワクしてくる。原村の開闢(かいびゃく)は中新田地区で慶長15年(1610)と言われているので、戦国時代(西暦1500年代後半)、祖先は原村には定住していなかったから、原村から出兵したのではない が、加わっていた可能性がない訳でもない。そ う考えると、ともかくどんな古道なのか、気に なって歩いてみたくなる。
第二に、現在の国道152号線からやや離れ た秋葉山の山中に秋葉神社があり、火伏の神様 として江戸時代から近代にかけて、全国各地か らの多くの参拝者で賑わった。諏訪地方では近隣の20~30軒くらいが集まって「秋葉講」をつ くり、講の代表者2名くらいが火伏のお札を頂 きに歩いて秋葉神社まで往復し、戻ってから 家々に配ったという。この風習は現代にも受け継がれており、今では代表者が車やバイクで秋葉神社まで日帰りで往復し、ありがたいお札を台所に貼って火災防止を願っているのだ。そう言えば、私も幼い頃「ひじろ(囲炉裏の甲州弁)」 のすすけた壁にお札があったのを見た気がする。
私の先祖も代表として秋葉街道を歩いたのかもしれないと想像すると、ますますロマンが掻き立て られる。秋葉街道の名前の由来にもなっている秋葉神社を訪れることは、地域の消防団活動を長年行っ てきた私としても熱望するところでもあった。
第三は、この街道が古くから「塩の道」であったということだ。海のない信州で生活していく上で、 塩の運搬は欠かせない。特に太平洋と日本海の両方から同程度の距離で遠い場所に位置する長野県中部 には、それぞれの海から塩を運搬する道が古くから開けていたという。日本海方面からは糸魚川、小谷、白馬、安曇野を通るルート。太平洋方面からは浜松、相良、掛川などから秋葉神社を経由して秋葉街道を通るルートなどである。塩尻は様々なルートで運ばれた塩の終点であったという。江戸時代の諏訪地域の庶民生活を支えた塩が、いったいどのようなルートを通って運ばれて来たのか、これもまた興味が高まるものである。
最後は、諏訪湖に源を発する天竜川が太平洋に注ぐその河口を見届けて、この街道歩きのフィナーレを迎えたいという気持ちだ。天竜川は諏訪湖から愛知県、静岡県を経て太平洋に至る総延長213km、 日本で9番目に長い河川であり、かつて「暴れ天竜」とも呼ばれ、災害が絶えなかった。原村をはじめ とする八ヶ岳西麓に降った雨水はいったん諏訪湖に入り、のちに一つしかない出口である釜口水門から 天竜川として太平洋まで流れ下る。したがって八ヶ岳は天竜川の最東端の源流ということになるのだ。 「このような4つの胸ときめく「夢」を携えて「秋葉街道・天竜川ひとり歩きの旅」を計画したのであ る。この旅の計画を実行するにあたって、こだわったことがいくつかあるのでお伝えしておきたい。
一つは、旅の間の天候である。分杭峠から天竜川河口まで首尾よく9日間で完了させるため には、まず天気の良い時期を選ぶことが肝要で ある。そうかといって全日程、雨に合わないと いうことは無理なので、週間天気予報で一週間 雨マークが無ければ実行ということにした。し かし、計画したからにはできるだけ早く出発したいという思いもあり、年間で最も天候が安定する晩秋まではとても待てなかったというのが 本音である。そして出発のXデーを決めたのは、決行の3日程前で4月12日を出発日とした。
長期間歩くうえで心配なのは、自分の身体の調子である。果たして自分の体力がどこまで通 用するのか、というチャレンジの目的があるので、旅のためにたいしたウォーミングアップを することもなく、ぶっつけ本番に近い状況で歩 いてみることにした。ただ、今まで諏訪湖一周16kmのウォーキングをしたときに、足裏にマメを作ってしまったことが何度かあった。日帰り旅ならば 問題ないが、マメは長期間歩くうえでは致命傷になりかねない。諏訪湖一周の際にはタウンシューズで歩いていたが、今回の街道歩きでは慎重に靴を選びたかった。最も適している靴は何なのか、登山靴が 良いのか、トレッキングシューズか、はたまたウォーキングシューズなのか。事前に調べた限りでは、 秋葉街道はほとんどが舗装道路であるが、一部分では登山道や獣道もある。そんな状況に適した靴を探 してスポーツ用品店に立ち寄ってみた。たまたま長距離ロードを何日も歩いた経験をもつ店員さんがい て、ランニングシューズが最適であろうということになった。 「次に荷物であるが、最初はできるだけ少量でコンパクトであることを心がけた。しかし、いかんせん 9日間という今までに経験したことのない長旅の計画である。用意したデイパックでは荷物が入り切らず、次は登山用リュックサックを出してきたところ余裕があったため、迷った持ち物は全部この中に詰 め込んでしまった。計量したところ、重さは10kgを超えていた。後日、このことが旅の中で大きな問題 になってくるとは、この時点ではあまり考えもしなかった。
「今回の旅の目的は、決められた日程で全行程を1日平均20km近くで歩き切ることであるが、せっかく 歩くのであれば、できるだけ道中にある神社、仏閣、名所、旧跡、文化施設などを見て回るのを楽しみ たかった。特に下伊那地方は独特の民俗、風習、さらには深い歴史に彩られた固有の文化を感じること ができる。また、秋葉街道は中央構造線に沿って伸びており、特異な地質や地形を眺めることが可能だ。かくして歩くのには豊富な話題と素材に事欠かない道だと思う。このためインターネットのマップサイトを活用して街道歩きの「メモ帳」を独自に作成して、神社、仏閣などの見どころを書き込み、それらにその日の出発地点からのおおよその距離を記入した。このことは、実際に歩いたことのない道を歩くにあたって各地点が目安、目標となって、知らない土地ではたいへん心強かった。ちなみに私はスマートフォンという文明の利器を持っていなかったため、このメモ帳が頼みの綱であったことは言うま でもない。
前置きが長くなってしまったが、私としては、旅に出発する前にこの旅に対する私なりの「こだわり」 をぜひ皆さんにお伝えしておきたかった次第である。それではこれから、この9日間の秋葉街道と天竜川を巡る旅の一部始終をご紹介していくので、この旅の醍醐味を楽しんでもらえれば幸いである。

著者 小林 千展
発行 ほおずき書籍
発売 星雲社


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